セントミサイルの最後の日 2018月6月21日

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この度も遅くなり、申し訳ありませんでした。 
さかのぼりますが、記録として、書き落としていたことも書き添えます。 

15日夕方、ミサイルは立ち上がれなくて何度も失敗しながら這うような形で馬房を1 周してしまい、やっと何とか立ち上がれたひどい症状の日がありました。そのすぐ後で漢方薬をいただき、「ひどい時は200グラムをカテーテルで直接胃に入れる」とのことでした。獣医さんに3分の1くらい入れていただくのが精一杯で、残りは翌日にか けて注射器型の投薬器で何回にも分けて飲ませました。私たちが舐めても不味いもの ではなく、ミサイルはそれほど嫌がらずに、その後も最後の日まで、1日3回に分けて、合計9杯を飲み続けました。 

立ち上がりに苦労した後はいつも発汗していました。その後、時間をおいて手入れしてブラシをかけてあげると、きれいな毛並みに戻っていました。しかし、21日は朝に寝起きに苦労した後、日中は裏戸から外を向いて立っていましたが、その間も発汗していて湿っていたため、ブラシをかけてもきれいになりませんでした。普通の姿勢で 立っているのが辛く、両後ろ脚をぐっと内に踏み入れた状態(集合姿勢と言われます) で、プルプル震っていました。 

03 20180621 17時32分.jpg

【動画】セントミサイル 馬房での様子 2018年6月19日夕方 (1分13秒) 


青草もあまり食べず熊癖(ゆうへき)をし続けていました。亡くなる前の数日は人参を ほとんど食べませんでした。水はバケツを向けるとゴクゴク音をたてて飲みました。 発汗で脱水気味だったのだと思います。飼い葉は内容を変えて、ガツガツ食べる時も ありました。 

いつもなら状態が悪く見える時もあれば、落ち着いて見える時もありましたが、この日はずっと辛そうに見えました。ボロもその場で位置を変えられないまま、していま したが、1つ1つが小さく硬くなっていました。20日と21日の様子は大きく違って見え ました。 

放牧されていた馬たちを皆、夕方、厩舎に入れ終え、寒いのでミサイルの裏戸も閉め る時間になりました。それまで裏戸から顔を外に出していたミサイルは、自分で向きを変えられない状態でした。口元と尻尾を持って誘導し、できるだけゆっくりと 180°向きを変え、今度は厩舎の廊下側に顔を出して飼い葉や水を飲めるようにしま した。 

【動画】 セントミサイル ゆっくり方向転換させる様子 2018年6月21日 夕方  (45秒)
 ※途中で声が入っていますので、ボリュームにご注意下さい


夕方、18時15分頃、黒いミサイルの姿がパッと崩れ落ちるのが見えました。ミサイルの顎が鉄パイプの馬柵棒(ませんぼう)に落ちた状態で、自力で動けなくなっていました。朝も同じようになりましたが、朝は自力でもがいて位置をずらしながら、時間はかかりましたが、何とか立てました。しかし、もうどんどん弱っていたのだと思います。もがこうとしませんでした。辛い体勢になってしまっていたので、馬柵棒と、その下から出てしまわないように当てていた畳をはずしました。 

クオリティオブライフ(生きる質)を大切にしたいと考えた時、元気に生きてきた年月がいくら幸せでも、最後に死に面した時に、苦しみが1日1日長くなることでクオリティはどんどん落ちていくと思います。治るものなら、頑張って乗り越えてほしいと願いますが、神経マヒで自力で立てないことは、馬にとって致命的です。人間は24時間やるべきことをやって1分1秒が慌ただしく過ぎていきますが、ミサイルにとっての1分1秒は、つらく長いものであったと思います。 

その後、獣医さんがいつもの治療のために来られました。獣医さんとも今後の見込みを話し合い、引退馬協会さんとも連絡を取り、安楽死の決断を致しました。鎮静剤を打ってから大量の麻酔薬を打っていただきました。ミサイルの場合、麻酔の効き方が安定しなくて追加して下さいました。それから、水で薄めた(血管内を流れやすくするため)パコマを打ち、ミサイルは息を引き取りました。 

生きている間に頸椎のレントゲンを撮っていただく予定でした。最初にポータブルのレントゲンの機械を持ってきて下さった時に、「これは古い方のレントゲンで、石灰沈着が鮮明に写るかわからない」ということでした。新しい性能の良いレントゲンが週末になれば使えるとのことでしたので、どの道、レントゲンの結果が早く出ても東洋医学の鍼の先生は海外出張のため不在で26日にならないと診ていただけない状況で したので、性能の良い機械を待つことになりました。結果として21日の段階で急速に状態が悪くなっていたため、レントゲンは撮らないままでした。 

亡くなってからも、「なぜ?なぜ?」と、どうして元気だったミサイルがこのようなことになったのか自分の中で考え続けました。遺体でもレントゲンを撮れるとのことで、23日に撮っていただきました。 

第4頸椎と第5頸椎の間が狭くなっていて、このような神経症状を起こした原因とも考え得るとのことでした。普通と比べてどのくらい狭いのかお尋ねしたら、6~7割くらいしかないとのことでした。そこを神経が通っているとのことです。狭くなったのは、いつからとはわからず、一般的に、仮に子馬の頃からであったとしても、狭いながらも高齢になっても神経症状を発症しないでいる馬もいるそうで、ただ、ミサイルは発症してしまったということのようです。 

石灰沈着については、沈着しているのか、していないのか、遺体に空気が溜まり過ぎて写りませんでした。本当の原因を特定するには解剖するしかなかったようです。 

思い返すと、普段は夕方になると放牧地の出入り口の引き戸に顔を向けて迎えを待っているのですが、13日に異変が起きる数日前に、午前中からミサイルだけが、中に入りたそうに待っていました。その後、また青草を食べて普通に過ごしていましたが、もしかしたら細かなところで前兆があったのかもしれないと悔やまれます。 

老衰で静かに死なせてあげられたら良かったと、望みが叶わなかったことをとても悲しく残念に思い、ミサイルに、またミサイルを愛して下さいました多くの方々にとても申し訳ない気持ちです。 

ミサイルは私の青春のような存在でした。沢山の方々に助けていただき、私も助けられました。本当に、どうもありがとうございました。





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コメント(4)

本当に本当にお疲れ様でした。
とても寂しいけれど、ミサイルに出会えてとても楽しかった。
たくさんの思い出をありがとうございます。

ミサイル君に関わりのあった関係者の方々にお悔やみ申し上げます。
私は渡辺牧場さんのブログでミサイル君を知りました。ブログでしか拝見したことがなかった私でさえ今回の悲報を知って涙を流したのだから、牧場の方や関係者の皆さんのお気持ちを考えると胸が締め付けられます。いつの日か天国で会えると願って。。合掌。。

最後まで希望を捨てず、しっかり見届けて、いただいたことがよくわかりました。ありがとうございました。

すごく頑張って、愛情を持って最後まで見届けてもらい、ありがとうこざいました。

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