今年の夏は昨年よりも気温は高くならなかったとは思うのですが、天候が安定せず、湿度の高い日も多かったように感じます。昨年は暑くてアブが襲来する時間が早かったため、午前3時台の放牧が続きましたが、今年は4時台か5時台から放牧し、日差しが強くなると早めに集牧するようにしていました。このたよりを書いている8月30日現在は、アブの数も減り、涼しくなってきたので、午前6時半に放牧に出て午前中のうちに集牧しています。
8月17日にずっと一緒だったタイキシャトルが急逝。いつもはシャトルと2頭で厩舎を出て隣同士に放牧されていたのが急に1頭になり、女子チームが出てくるまで放牧地の出入口付近でソワソワししながら待つようになりました。先発隊のタッチノネガイ、タッチデュールが放牧地に入ると安心するのか、草を食べ始めるという具合でした。シャトルがいなくなって10日過ぎたあたりから、ソワソワすることもほとんどなくなり、女子チームが来る前に草を食むようになりました。
シャトルがいなくなって寂しさはあると思いますが、食欲は落ちていません。7月8月はテレビ、映像、新聞など取材が多く入りました。一度熱発して体調を崩していたので、取材を無事終えられるよう、細心の注意を払って管理をしてきました。カメラを向けられても動じることなく堂々とした姿を披露してくれました。折しもシャトルが優勝したフランスのジャックルマロワ賞に今年日本馬が出走し、亡くなる前にシャトルに注目が集まることになったのも、不思議な力を感じずにはいられません。
撮影、取材の大仕事を全てこなし、ジャックルマロワ賞が終わった3日後、シャトルは天国に旅立ちました。前の日も変わらず夜飼いをペロリと平らげ、私の手から人参と久しぶりにあげた黒砂糖を美味しそうに食べました。そして乾草を口にしている姿を見届け、厩舎を後にしました。これが午後10時頃でした。
翌8月17日、先に厩舎に行った川越がシャトルが馬房で倒れ、既に息を引き取っているのを確認しました。寝藁が乱れていないことから、苦しむ時間は短かったと想像できました。獣医師に死亡診断をしていただきましたが、老衰からくる心不全で間違いないだろうとのことでした。昨年より暑さに弱くなっていたり、熱発したりと衰えはあったのかもしれません。でも毛ヅヤも馬体の張りが昨年より格段に良かったため、こんなに早く別れが訪れるとは思いませんでした。
シャトルの遺体は、プリサイスエンドの時と同様に、タニグチ牧場さん、川越の親戚に手伝ってもらって搬出し、その日のうちに荼毘にふされました。
亡くなったその日から供花が届けられ、馬房は美しい花でいっぱいになっています。皆様、ありがとうございます。北海道内外にて新型コロナウィルスの感染が再び拡大しているため、当面の間見学中止となりました。
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