生年月日 | 1992年3月11日 2017年4月19日永眠 |
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性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
生産地 | 米国 |
生産者 | Hugh G.King III |
血統 | 父・Cozzene(USA) 母・Blade of Luck(USA) |
所属厩舎 | 栗東・坂口正則厩舎 |
生涯成績 | 28戦6勝 |
主な成績 | <1995年> クイーンC(GIII) 1着 アーリントンC(GIII) 1着 <1997年> 京都牝馬特別(GIII) 1着 シルクロードS(GIII) 1着 高松宮杯(GI) 2着 <1998年> 高松宮記念(GII) 3着 |
詳細情報 | http://www.jbis.or.jp/horse/0000263016/ |
繫養先 | 丸村村下ファーム(北海道・浦河) |
エリモシックに続いて、1990年代半ばに短距離戦線で活躍し、京都1200mの日本レコードを持つエイシンバーリン号を、10頭目のフォスターホースとして受け入れることが決まりました。
1992年にアメリカで生まれたエイシンバーリンは、9頭目のフォスターホースになったエリモシックより一歳上のお姉さん。
エリモシックが勝った1997年のエリザベス女王杯の2着ダンスパートナー、3着エイシンサンサン、また、ヤマニンパラダイス、プライムステージ達とも同級生です。
アメリカで、故・平井豊光氏に落札されたエイシンバーリンは、2歳の時に来日。デビュー戦となった同年秋の新馬戦で、主戦となる南井克巳騎手を背に見事な逃げ切り勝ちを決めると、 続く重賞三戦すべてで3着以内に好走し、その素質の高さを見せつけました。
明けて1995年1月のクイーンCで見事に重賞初制覇を遂げ、続くアーリントンCでも鮮やかな逃げ切り勝ち。
外国産馬ゆえに、当時は牝馬クラシック戦線に乗ることは叶わなかったものの、芦毛の快速牝馬として、その名を高めました。
アーリントンCの後、骨膜炎を発症して長い休養を余儀なくされ、復帰してからは苦戦が続きましたが、1997年の京都牝馬Sで重賞3勝目を挙げると、同年春のシルクロードSでは、8番人気の雪辱を果たすかのように、驚異的なスピードで逃げ、2着を四馬身突き放して圧勝しました。
このレースでエイシンバーリンが打ち立てた1分6秒9という記録は、当時の芝1200mの日本レコードとなりました。
1998年、6歳になってからも、短距離路線には欠かせない存在として多くのファンの支持を集め続けましたが、同年暮れのスプリンターズSを最後に引退となりました。
引退後は北海道・浦河町の(有)丸村村下ファームさんで繁殖生活を送っていましたが、21歳という高齢であること、悪性腫瘍のメラノーマを患っていることを考え、 当歳の離乳を待って繁殖登録を抹消しました。
どんなにすばらしい成績や記録を残しても、残念ながら、多くが繁殖を引退した後には、行方知れずとなってしまうのが現実です。
エイシンバーリンが辿るであろう道は想像するに難くなく、現役時代からずっと見守り続けてきたファンの方から 「幸せな余生を送らせてあげることはできないでしょうか。」と、また牧場の奥様からも同じ思いを抱いて引退馬協会へご相談がありました。
このご相談を受け、「はるばるアメリカから日本に来て、競走馬として28戦中重賞を4勝するという成績を残し、 繁殖馬としても長い間がんばってきた馬。なんとか救いの手を差し伸べたい。
エイシンバーリンは(財)ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成金支給要件を満たしており、助成金を受けることもできることから、ここから同じような繁殖牝馬を助ける道もでき、さらにはその先へと繋げていくこともできるのではないか。」と考え、フォスターホースとして受け入れようということになった次第です。
高齢のエイシンバーリンを病気を抱えた状態で他の牧場へ移動させるのは負担が大きく、環境に慣れるのに時間がかかるということから、慣れ親しんだ場所で過ごさせてあげたいと考え、今後の管理はこのまま丸村村下ファームさんにお願いすることになりました。
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